January 22, 2008

「国民の暮らしと安全を守る」以外に政治家の役割はあるのか?

1月11日の新テロ特措法案再議決に当たり、
民主党の小沢代表が衆議院本会議場を退席して採決しなかった事が激しい非難を浴びている。

あれから10日以上経ち、
越年の臨時国会から通常国会になり、
今度は各党代表質問が行われた21日の衆院本会議で、
小沢代表は演壇に立つことなく、
自分の議席で鳩山由紀夫幹事長の質問に耳を傾けた。

メディアには
「敵前逃亡」、「プッツン」、「ワガママ」、「国民の負託に応えていない」とかの言葉が飛び交い、
高名な政治評論家やジャーナリストが「国会議員が果たすべき最大の責務は、本会議に出席して採決に票を投ずることです」などとしたり顔で解説、
「選挙の応援という私的な事情を優先し、採決という公的な責務を放棄した」と
言わなければいけないんだろうな〜という空気になっている。

果たしてそんなものだろうか?
田中良紹氏は
 私の知る限り政治家についての世界の常識は「国民の暮らしと安全を守る仕事」をやってくれるかどうかが第一であり、その一点でのみ政治家は評価される。それ以外の品行は別の問題で、それはあまり政治家としての評価の対象とはならない。
 例えばかつてフランス大統領に愛人と私生児がいた。そのことをフランスのメディアも国民も批判しない。そんなことで批判する方がおかしいという考えである。しかしそれは成熟したカソリックのお国柄で、ピューリタンの子孫であるアメリカでは政治家の女性スキャンダルは命取りだった(もっともカソリック信者のケネディだけは女狂いでも国民から尊敬された)。ところが近年クリントン大統領がホワイトハウスで女子大生と性スキャンダルを起こしたときに支持率が下がらず、その事を世界は「アメリカも成熟国家になったものだ」と評価した。

(The Commons田中良紹「国会探検」より)

そして、こうまとめている。
 私は昨年政権を途中で放り出した若き総理が「長州」出身であったことから、長州人とはいかなる系譜なのかに関心を持ち、この冬吉田松陰と高杉晋作の物語を読んでみた。すると分かったことは長州人にも二種類あり、多くが権力の言うがままひたすら幕府に媚びへつらいをする中で、松蔭や晋作だけが異質で藩の掟を破ることを何とも思わず、入牢や閉門蟄居を繰り返していたことだ。そうした精神がついにがんじがらめの幕藩体制を倒す力を生み出すことになるが、この二人を日本人らしい日本人からみればまさに「狂」であり「奇」ということになる。
 明治維新140年目の節目の年明けに国会採決退席問題で騒いでいる日本を見ると、この「日本人らしさ」ということをもう一度考えてみたい気になる。



何かを変えるには、何かが常識破りでなければならないと思う。
それをパフォーマンスで大袈裟にしたのが、小泉や安倍だとするならば、
小沢代表はごく当たり前にやっているだけなのかもしれない。

libarty at 14:17│Comments(0)TrackBack(0) このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote 日記 

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